被災地ワークショップメンバー3名は、レンタカーにて宮城県を目指しました。
休憩を少なくした分、予定より早く宮城県多賀城市に到着。
少し身体を休めるために、ネットカフェにチェックイン。
ネットカフェは初めての体験でしたが、
価格は安いし、思っていたより清潔で快適な空間でした。
朝は7時半にロビーに集合し、多賀城市のヤマト配送センターにあずけてあったワークショップの荷物を引き取りに行ってから、七ヶ浜のボランティアセンターに向かいます。
8時45分。七ヶ浜のボランティアセンターで、スタッフの千夜さんと合流。
ボランティアセンターで受付を済ませて、ミーティングに参加。
震災から半年が経っても、沢山の方がボランティアに集まっておられます。
ミーティングが済むとボランティアの皆さんは、それぞれお手伝いをする場所に向かいます。
私たちは、本日1つ目のワークショップ会場である、湊浜の仮設住宅へ。
基本、被害に遭ったお宅の清掃などもあるので、プライバシーを守るため、ボラセンでは、写真は禁止と言う指導でしたので、ツイッター投稿を憚りましたが、お声をかけて写真撮影を承諾してくださった方々(ほとんどの方は撮影も喜んでくださいました)に、写真を取らせて頂きました。
湊浜の仮設住宅では、お年寄りが多く参加してくださいました。
そして、絵を描きながら、沢山のお話をさせて頂きました。
湊浜の仮設住宅は、もともとご近所だった方ばかりだということで
「○○ちゃん」と互いの下の名前を呼び合うなど、親密なおつきあいぶりが伺えます。
津波で怖い思いをされたので、海や波をイメージさせる図案を持って行くかどうかについては少し悩みましたが、選べる図案は多い方が良いということで、いつも通りの図案パターンを揃えて望みました。
この図案を選んだお母さんは、海苔の養殖をされていたため「海苔の色(緑)で、海を描きたい」と、波の図案を選ばれました。
「海で辛い思いをされたから、海や波のような刺激を与える図案は、、」と、ボランティアセンターの方が言いかけたとき、そばにいたもう一人のお母さんが言いました。
「散歩しててもねぇ、気がついたら海に来ているんだよぉ。
私たちの住んでいた町だからねぇ。
どうなったんだろうと気にもなるしねぇ。
こんなにもおだやかなのに、どうしてあの日だけあんなに、、ってね。」
と。
漁師や、養殖など、海で働くことで家を守り、子供を育てあげて来た「誇り」と言うものは、そう簡単に崩れるようなものではないのだという「静かな強さ」を教えられた気がしました。
何十年にもわたり海と共に生き、海で生計を立てて来られた「プロ」ですから、思い込みによる過剰な配慮は良くないのかもしれません。
被災地の皆さんは、私たちが思っている以上に、現実を見つめ、しっかりと大地を踏みしめながら踏ん張っておられるように、私には見えました。
その後も、貝殻や、波や、クジラなど、海をイメージさせる図案を選ぶ人が多かったように思います。
午後からは、汐見小学校の「はまぎく児童館」に伺いました。
こちらはボランティアセンターを通していないので、沢山写真を撮れるはずだったのですが
ちびっ子達が元気すぎて、スタッフも忙しく、あまり写真が撮れませんでしたw
30余命の元気なちびっ子達は、大騒ぎ。
とっても楽しいワークショップでした。
子供たちはみな人懐っこく、おんぶやだっこのスキンシップはもちろん、遊びを通じて甘えてくれるような行動が多かった気がしますが、お父さんやお母さんが大変ななか頑張っておられる背中を見て、無意識に我慢している部分もあるのかもしれませんね。
一人、二人、Tシャツを真っ黒に塗りつぶしたいというお子さんや、うまく描けなくて泣いちゃうお子さんもいて、ちょっと心配な面もありましたが、気持ちを転換出来るような工夫をしたり、難しい絵を「大人の手伝い無く、自分で描く」挑戦をしたりしているうちに
「あのね、あのね、あの鳥を自分で書いたら、どんどん勇気が湧いて来た!!」
「頑張ったら出来るんだ!」など
描くことを通じて自己に挑戦し、乗り越え、自分に自信を持てるようになったお子さんもいて、楽しいだけのワークショップと言うよりは、目に見えない「大切な何か」を発見し、共有出来た、そんなステキな時間でした。
片付けもみなに手伝って(邪魔して?)もらって、ワイワイ、ガヤガヤ。
私たちは、そんな子供たちが可愛くて仕方が無くて、
児童館には、暗くなるまで、終止、賑やかな声が飛び交っていました。
「また会える?」
「今度いつ来るの?」
そう聞いてくれる子供たちと別れを惜しんで、宿舎に戻りました。
翌日は、七ヶ浜で一番大きな仮設住宅ですが
長くなったので、続きはまた次回に。